ニュー・ウェイヴと並ぶパンクの末裔”ハードコア”

ニュー・ウェイヴと並ぶパンクの末裔”ハードコア”


 あまりにも範囲が拡散しすぎ煩雑になるという理由で本書からはパンク/ハードコアの流れは除外した。しかしパンク/ハードコアとニュー・ウェイヴは、思想的に、あるいは気分的に明確な共通項があった。それは既存のロックンロールの価値観や美意識やモラルを粉砕し、儀制化していたロックン・ロールビートの定型を徹底的に解体することだった。パンクがその突破口となったその動きは、ニュー・ウェイヴがさまざまなチエと工夫で推進し、ハードコアは速度と強度で突破しようとした。言い方を変えれば、ニュー・ウェイヴがパンクの多様化だったとすれば、ハードコアは文字通りパンクの核をさらに過激に、純粋に突き詰めていった動きだった。
 80〜81年頃、主に地方都市を中心にハードコア・パンクの若いバンドは蜂起した。代表格は北部のストーク・オン・トレントから登場したディスチャージである。80年にシングル「Realities Of War」でデビュー、以後発表するシングルをことごとくインディ・チャートの上位に送り込み、81年12曲入り45回転シングル「Why」で、その地位を確かなものとする。ディスチャージの登場は決定的だった。常軌を逸した速度、強度、重さで叩き出されるブラスト・ビートと、強烈な反戦反核のメッセージの切羽詰まった緊迫感は、それまでのパンク/ニュー・ウェイヴ的方法論をことごとく無力化してしまうような衝撃だったのである。「Why」『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』は、PILの初期作品やポップ・グループのアルバムに匹敵する重要作である。
 ディスチャージがもっぱらサウンド面でハードコアのラジカリズムを体現していたとするなら、精神的な支柱だったのがクラスである。ヒッピー的なコミューン生活から生まれた反戦反核・反キリスト・動物愛護といった真摯なメッセージを携え、徹底した反商業主義を貫き、可能な限りの低料金でレコードを提供・ギグを主催し、さらに自らのレーベルでレーベルで若いバンドをバックアップする、といった彼らの活動は、パンクの理念をもっとも純粋に妥協なく貫き通した、ほとんど唯一無二の例だった。彼らは当初の計画通り84年にすべての活動を停止したが、その精神はコンフリクト、さらにはクラス・レーベルの後進であるワン・リトル・インディアンから登場したシュガーキューブスビョーク)やチャンバ・ワンバといったバンドに受け継がれる。
 ほかにもエクスプロイテッド、GBH、アンチ・パスティ、ブリッツといったあたりが代表的なUKハードコアのバンドだが、ディスチャージらハードコア第一世代の打ち出した「より速く、よりうるさく、より重く、より固く」という方法論はさらに突き詰められ、先鋭化していく。それがケイオスUK、ディスオーダー、フラックス・オブ・ピンク・インディアンズといったハードコア第2世代によるノイズ・コアだ。パンクの破壊の機能性を極限まで推し進め、既存の音楽性イディムを徹底的に破壊し尽したフラックスの『Fuckin' Pricks Treat Us Like Cunts』のもたらした衝撃は、ニュー・ウェイヴ運動のひとつの終着点とも言える。だが速度の強度の追及には限りがない。アメリカン・ハードコアやスラッシュ・メタルの台頭を受け、ヘレシーやエクストリーム・ノイズ・テラーといったバンドを経て、ついにハードコアはネイパーム・デスらのグラインド・コアへと進化するのである。




         ――――監修/小野島大 「UKニュー・ウェイヴ」(シンコー・ミュージック刊) P.174より

WHY(紙ジャケット仕様)

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