萌えと並ぶオタク文化の末裔”ツンデレ”



萌えと並ぶオタク文化の末裔”ツンデレ


 あまりにも範囲が拡散しすぎ煩雑になるという理由で近年では鉄道、SFといったオタク文化と「萌え」に端を発する美少女アニメ、漫画、エロゲーといったアキバ文化は分け隔てられて考えれつつある。一方で、アキバ文化から派生した萌えとツンデレは、思想的に、あるいは気分的に明確な共通項があった。それは既存のオタク文化の価値観や美意識やモラルを粉砕し、儀制化していた秋葉原の街並みと、インターネットの掲示板の言説を徹底的に解体することだった。90年代後半の伝説的アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」とreaf/Keyに代表されるエロゲーがその突破口となったその動きは、萌えがさまざまなチエと工夫で推進し、ツンデレは二面性と強度で突破しようとした。言い方を変えれば、萌えが美少女文化の多様化だったとすれば、ツンデレは文字通り「ツンとデレ」という二面性によって、二次元の女の子の魅力をさらに過激に、純粋に突き詰めていった動きだった。


 2000年以降、主にライト・ノベルを中心にツンデレのキャラクター達は出現し始めた。代表格は角川出版の「スニーカー文庫」から出版された『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公、涼宮ハルヒである。03年に文庫「涼宮ハルヒの憂鬱」でデビュー(作者の谷川流れが)、以後発表される著作がことごとく「このライトノベルがすごい! 」の上位に登場し、06年京都アニメーション制作のテレビ・アニメーション版で、その地位を確かなものとする。涼宮ハルヒの登場は決定的だった。常軌を逸した行動と、物語のキーパーソンであるキョンへのツンとデレ、テレビアニメをCVを担当した平野綾の切羽詰まった演技力は、それまでの猫耳、メイド、スクール水着といった萌えの方法論をことごとく無力化してしまうような衝撃だったのである。小説版第1巻「涼宮ハルヒの憂鬱」テレビアニメ版第9話『サムデイ イン ザ レイン』は、あずまきよひこの初期作品やGAINAX制作のテレビアニメに匹敵する重要作である。


 涼宮ハルヒがもっぱら二次元でツンデレのラジカリズムを体現していたとするなら、三次元で支柱となったのが釘宮理恵である。数多くの美少女アニメの主演を務めたキャリアから生まれたツンとデレ、ツンケンしたセリフと相反するロリ声、アニメ声というスキルを携え、徹底した商業主義を貫き(周囲にいる大人たちが)、ツンデレTV、ツンデレカルタ、∞プチプチ ぷち萌えといった商品に起用され、さらに数多くのアニメ、ネットラジオに主演する、といった彼女の活動は、ツンデレの理念をもっとも純粋に妥協なく貫き通した、ほとんど唯一無二の例だった。彼女は時にテレビアニメで男の子を演じ、ショタ声を披露したが、そのツンデレっぷりは『灼眼のシャナ』のシャナ、『ゼロの使い魔』のルイズや『ハヤテのごとく!』の三千院ナギといったキャラクターに如実に表れている。


 ほかにも大空寺あゆ君が望む永遠)、沢近愛理スクールランブル)、真紅(ローゼンメイデン)、柊かがみらき☆すた)といったあたりが代表的なツンデレのキャラクターだが、涼宮ハルヒツンデレ第一世代の打ち出した「ツンとデレという二面性を用いることによって生まれるギャップ」という方法論はさらに突き詰められ、先鋭化していく。それが、桂言葉School Days)、芙蓉楓(テレビアニメ版、SHUFFLE!)といったツンデレ第2世代によるヤンデレだ。キャラクターの二面性を極限まで推し進め、テレビアニメ版最終話の放送を自粛にまで追い込んだSchool Daysの『Nice boat.』のもたらした衝撃は、アキバ文化のひとつの終着点とも言える。だがツンとデレの追及には限りがない。ライトノベルの台頭を受け、ついに「つよきす」のように登場するキャラクターが全員ツンデレという異色作を生み出すのである。




萌えはロックだ!