マット・リーブス「クローバーフィールド/HAKAISHA」


※今回のエントリーは、この映画のネタバレを含みます。
 これから観る人は、下の文章を読まないでね〜。































劇場公開前から、独特な撮影方法と、「自由の女神首チョンパ」というパンチの効いた映像だけが先行で、観る側に伝えられていたこの映画。


自分も、「災害パニック映画かな?」とか、「いやいや、『HAKAISHA』っていうサブタイトルが付いてるくらいだから、多分何かが攻めてくるんだ。きっと、宇宙戦争みたいな宇宙人侵略モノだな」などと、観る前は色々思ってました、


で、いざ観てみたら……。


怪獣映画でした。


まごうことなき怪獣映画。監督は、日本の怪獣映画のファンなんでしょうか?
劇中では、ニューヨークの街を破壊する大怪獣(笑っちゃうくらいに、めちゃくちゃデカい上にグロテスク)の身体から卵(?)が地上に落ち、そこから生まれた小さなモンスターが人間を襲うのですが、このデザインが、「ガメラ2〜レギオン襲来〜」に登場する、ミニ・レギオンにソックリ!
主人公達が地下鉄で、このミニ・レギオンもどきに襲撃されるというストーリーにも、「ガメラ2」との共通点が見えます。オマージュなんでしょうか?


ぶっちゃけ、「クローバーフィールド」は、ガメラが出てこない「ガメラ2〜レギオン襲来〜」です。


怪獣対怪獣とか、怪獣対軍隊ではなく、怪獣とその襲撃に巻き込まれた人間の姿を描いた本作は、「ローランド・エメリッヒをして、『GODZILLA』みたいにつまらない映画しか撮れなかったんだから、俺らアメリカ人にまともな怪獣映画とか撮れるわけねぇべや。じゃあ、『ブレアウィッチ・プロジェクト』みたいに、おもろいアイデアで勝負してみんべ!」みたいな考えの下に撮られたのではないでしょうか? 勝手な想像ですが(笑)。


そして、その試みはかなり成功しています。元怪獣好き(小学生の頃の『ウルトラマン』の再放送を見ていて、シーボーズのエピソードに号泣。あんまりうるさくビービー泣くので、終いには母親にマジギレされた程)の僕が言うんだから、結構イケてると思います。
ただね〜、そんだけ良い所を突いてる映画なんで、余計にアラが見えてくるというか、観てる側としては、もっとレベルの高いモノを要求してしてしまうんですよね。


この映画、いくつかのミスを犯していると僕は思うんですよ。
それが、何かっていうと、




「劇場公開前に、『自由の女神首チョンパ』はやり過ぎ」


宣伝ポスターやトレーラー、テレビCMで繰り返し使われた、あの「首チョンパ」イメージ。
確かに「おぉ!これ、どんだけ凄いことが映画の中で起きるんだ!」って観てる側に思わせる効果は確かにあったのかもしれないけど、例えば「猿の惑星」で、自由の女神が「あーいう使われ方」をされていたような意外性っていうのはなくなっちゃいますよね。
これから観る側は、あの「首チョンパ」イメージで、「あぁ、ニューヨークめちゃくちゃになるんだろうな」「たぶん、バッドエンドだろうな」とか、観る前から覚悟ができてしまう。
それだったら、予告も徹底的に謎だらけにしておいて、劇中で初めて「あの映像」を目にすることによるインパクトを狙った方が良かったんじゃないかと。
まぁ、観客動員数的には、どっちの手法がより人を呼ぶのかは分かりませんが、個人的には、後者の手法のほうが好感持てたな〜と思う次第。


「『ハリウッド的』な、お約束事から抜け切れていない」


怪獣が現れました。
街がメチャクチャに壊されます。
逃げ惑う人々、蹂躙を続ける怪獣。
以上の様な状況がスクリーンに描かれている時、あなたは何を観たいと思いますか?
僕は、パニックを起こし逃げ惑う人々による、群像劇を見たいと思います。
が、この映画では、主人公達は群集から離れ、倒壊したアパートの下敷きになっている自分の恋人の救出に向かいます。
そのため、群集の姿は物語の中盤以降登場せず、ドラマも生まれない。
逆「タワーリング・インフェルノ」状態の中、主人公であるカップルの愛の姿が描かれるのです。
さらに、「手持ちのハンドカメラで撮影している」という体にも関わらず、これ見よがしに、地下鉄やお店に貼ってある企業(たぶんスポンサー)の広告が、これ見よがしに映りこんでくるんですよ。
緊張感溢れるシーンなのに、自販にデカデカと「Mountain Dew」とか書かれているのが映っちゃうと、やっぱね〜、観てる側は冷めちゃうんだよね〜。
安易な「ラブストーリー」と「タイアップ」はハリウッドの悪しき因習よ!?
せっかくなんだから、何とかしてこの辺の悪習をすっ飛ばして、極上の怪獣映画を作って欲しかったな〜。


「怪獣が不細工過ぎる」


さっきから、個人的な要望ばっかで申し訳ないんだけど、本作のモンスターデザイン。
アレはちょっと……。
恐らく、ハリウッドのクリーチャーデザインって、既存の生物の特徴を組み合わせてキメラ生命体みたいな感じで作っていってるんだと思うんだけど、
ウルトラマンやウルトラセヴンの怪獣のデザインを担当した成田亨が、シュルレアリストの彫刻家であったが故に、素晴らしい怪獣や宇宙人を生み出せたように、ここは、日本の怪獣映画に倣って、前衛芸術家の人に怪獣のデザインはお願いすべきだったんではないかと。
レザーフェイスや、ジェイソン、ブギーマンみたいに、シリアルキラーのアイコンを作るのは得意なアメリカ映画界だけど、怪獣のアイコンってまだ作れてないもんねぇ。
唯一っていうくらいの成功例は「エイリアン」だけど、アレはギーガーのデザインだから。
ほら!芸術家が、デザインした方が、こういうのはぶっ飛んでておもしろいものができるんだよ。




総括すると、日本の怪獣映画の影響の下(多分)、斬新な手法で再構築を行おうとしたんだけど、「ハリウッド的なもの」が色々と足かせになって、映画の試みとしては、ちょっと失速してしまったかなような印象を受けました。


見当違いも甚だしいし、偉そうな書き方になってしまったけれど、要はそれだけ観る側も、高度なものを求めてしまう、なかなか興味深い作品だったってことです。
コレ、スクリーンじゃないと、あんまりオモシロさが伝わらない映画だと思うんで、最初に「未見の人は、この下見ないで!」って書いたのと、矛盾するけど、未見の人はぜひ劇場へ!