コーエン兄弟「ノーカントリー」

本作でアカデミー助演男優賞をとったハビエル・バルデム演じる非情な殺し屋、アントン・シガーの強烈な存在感が、本作の要である。


文才がないもので、「非情な殺し屋」なんて温い表現になってしまったが、劇中でのシガーのデタラメな暴れっぷりは実際のところ、筆舌に尽くしがたいものがある。
人を殺すことに何のためらいもない絶対的な悪。
異常性と凶暴性を併せ持ちながらも、冷静に確実に、人の命を奪い、ターゲットを追い詰めていく。
一方でこの冷酷無比な殺し屋に、禁忌な魅力を感じてしまうのもまた事実である。
特徴的な髪型と、ガスボンベを改造した特殊な武器も、造形的に異様な完成度を誇っている。
こんなヤツが、意図の読めない暴力で延々観るものを圧倒するのだからたまらない。


例えば、映画の中でこんなシーンがある。


殺しのターゲットとなる男性との銃撃戦で、負傷をしたアントン。
治療のために、ドラッグ・ストアでモルヒネや注射器を強奪しようとするのだが、その為になんと店の前に停めてあった車をいきなり爆破する(!)で、周囲が騒然とする中、ゆうゆうと店の中に忍び込み、治療に必要な薬や医療器具をせしめると、モーテルの一室で、自ずからの手で手術をはじめるのだ。「ドラッグストア・カウボーイ」のマット・ディロンも裸足で逃げ出す、極悪ぶり!


上手くいけば「羊たちの沈黙」のレクター博士よろしく、映画界のダーク・アイコンにも成り得るような、劇中での異様な存在感に思わず引き込まれてしまった。(もし、フィギュアが出たら欲しい……)


コーエン兄弟らしい緊迫感のあるサスペンスシーンだけでなく、トミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官の苦悩が上手く描かれているのも素晴らしい。
トミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官には、アントンの存在が、ひいては、こうした異常者を生み出す時代や社会を全く理解することができない。
一応、悪意と暴力が蔓延るこの物語において、「正義」の象徴として描かれる老保安官であるが、物語の中でこの「正義」と「悪」は決して交わることなく、延々すれ違いを繰り返す。
そして、この老保安官が困惑をし続けている間に、事態は最悪の方向へ向かっていくのだ。
この物語において、正義は圧倒的に無力であり、時代に抗い、正義を貫くことが、まるで老醜のようにすら描かれている。


善良な警官と、絶対的な悪の対比は、同監督の「ファーゴ」でも描かれていたが、この物語のラストに「ファーゴ」のようなカタルシスは存在しない。
舞台であるテキサスとメキシコの乾いた風景描写も相まって、見る者の心にひたすら殺伐とした印象を残す映画だった。
ここまで、悪意至上主義な映画、他にはないだろう。すばらしい。


コーエン兄弟、あなたは本当に悪い人だ。