「無駄」を愛する心を持とう。

最近、音楽における「無駄」とか「過剰」って重要なことなんだな〜って思えてきた。


ポップ・ミュージックにおいて、「過剰」って大事なんだよ。
サウンドであったり、ファッションであったり、アティチュードであったりとかのあらゆる面においてての「無駄」ね。


例えば、AC/DCなんて、よく考えたら、もう無駄の塊なんだけど、ある意味こんなポップな音楽もないよ。
「なんで、小学生のコスプレしてんだろう?」とか「なんで、こんな痙攣しながらギターひくんだろう?」とか、衣装もアクションも全てが無駄!よくよく考えたら、無駄だらけ(笑)
でも、だからこそ、AC/DCハード・ロックのアイコンになったんだよね。


AC/DC / whole lotta rosie



パンクとか、NEW WAVEとか、クラブ・ミュージックとか、カッコよろしい音楽ってみんなそうじゃない?
「コイツら何で全員革ジャン着て、髪おっ立ててんだろう?」
「コイツら何で、全員モミアゲ落として、工員でもないのにツナギ着て、鉄板叩いてんだろう?」
「コイツら何で、ノイズなんてやってんだろう?」
「コイツら何で、音楽やるのにドラッグやってんだろう?」
とかさ。
コレって、ぜ〜〜〜んぶ、無駄(笑)。
でも、無駄だらけだからこそのポップなんだよ。
一方で、音楽における「無駄」「過剰」っていうのは、音楽理論的には「ノイズ」でもあるわけだしさ。
「ポップ」なのに「ノイズ」。おもしろいよね〜。


そういう無駄を全部省いちゃったのが、J-POPなんだよ。
カラオケで歌えて、コンビニの有線で流れてもすぐに耳になじんで、テレビで流すのにちょうどいい音量や長さの音楽。


それはそれで凄く洗練されているって言えるんだろうけど、やっぱり何だか寂しいし、徹底的に無駄を省いたプロダクトって、なんか余裕がなくて、逆に貧乏臭い感じがするよね。


やっぱり、いい音楽に出会うためには、過剰なものを受け止める心の余裕って必要なんだよ。
そういう、余裕や余剰っていうのは常に持っておきたいよね。
そういうわけで、僕は休日の度に行く必要のない中古盤屋さんに足しげく通い、生きていく上で知る必要はない
けど、おもしろい音楽を知るためにネットをするのでした。