グミ・チョコレート・パイン@テアトル新宿

大人になった賢三、カワボン、タクオが登場。山之上は超絶テクニックのギタリストで、美甘子に至っては、じ、自殺〜!?
と物議を醸した(俺の中で)映画版「グミ・チョコレート・パイン」を観てきました。
当然、僕は青春小説の金字塔であり大槻ケンヂの自伝的大河小説である原作のファンですので、思い入れのあり過ぎる「グミチョコ」が果たしてどのように映像化されているのかと期待半分、不安半分で観にいったのですが…。


見終わっての感想は、「ケラさんの映画だな〜」ということ。
作中でのギャグが、ナイロン100℃感満点というか、シュールでブラック過ぎる。
あと、犬山イヌコが出すぎ(笑)。


そんな中でも、原作のテイストはよく出てたと思います。
映画だとタクオが原作よりも更に馬鹿で、山之上が凄い可愛い。この二人には実は意中の女性がいて…という映画独自の視点もなかなか良かった。


しかし、実写にしてみるとどうしても、美甘子というキャラクターに対して「こんな女いるわけねぇ!」
感が出てしまうのが悲しいところです。
黒川芽衣が、ジョン・カーペンタースロッビング・グリッスルを好きなわけないもん。
大人になってしまった主人公達の描写も含め、絶望感、閉塞感は、原作の3割増しって感じです。


でも!でも、だからこそいいんです!
メチャ個人的な話で申し訳ないのですが、僕が原作を知ったのは高校生の頃でした。当然、共感しまくりで、やっぱり当時の僕も主人公のケンゾーと同じような勘違いをしていました。なんだったら、俺の前にも美甘子の様な女の子(か、「トゥルー・ロマンス」のアラバマみたいな女)が現れないもんかな、などと戯けたことを考えていました。で、今24歳。会社員。
今の僕は、美甘子みたいな女性なんてそうそういないことも知ってるし、自分という人間の限界も知っているし、社会とのある程度の折り合いのつけ方も知っています。
そんな、自分は劇中で退屈な中年になってしまったケンゾーにこそ共感してしまうんですよ。
この映画は、「グミチョコ」を読んで、大人になった人達に対して「今」を問いかける映画だと思います。
ハッキリ言って、当時文庫本で読んでいて受けた衝撃や感動は、この映画の中にありませんでした。
でも、決して嫌いになれない、そんな一本です。